ベートヴェンの『第九』と聞くと、日本では年末の風物詩と思うかたが多いでしょう。
一方、ヨーロッパ(特にドイツ語圏)で「年末劇場に何を観に行きますか?」と問えば、多くの人が「シュトラウスII世の『こうもり』!」と答えます。
知っていましたか?
今回は、そんな現在進行形で、ヨーロッパの年末年始の定番として上演され続けているヨハン・シュトラウスII世の名作、オペレッタ『こうもり』について取り上げます!
「あれっ?オペラではなくオペレッタ!?」と思いましたか?
オペレッタというジャンルは、重厚かつ悲劇的なオペラとは異なり、日常的な社会の風刺、軽妙なユーモアを含み、どちらかというとストーリーは軽快で娯楽性が高く、華やかな音楽で構成され、ダンスや演劇的な要素も持っているという特徴があります。通常ハッピーエンドで幕を閉じることから「喜歌劇」とも呼ばれます。
オペレッタが海を渡ってアメリカに行って、それがミュージカルになったと言われています。
完全にネタバレですが、オペレッタ『こうもり』は、主人公のいたずらで「こうもり」という恥ずかしいあだ名をつけられ、からかわれた友人ファルケ博士が、主人公に罠をかけてやり返す、というストーリーです。
登場人物たちの色々なウソや見栄、隠しごとが最後に博士によって暴露されるのですが、博士は皆に笑いと抱擁で和解するよう促し、すべての過ちと不貞は、有名なセリフ「すべてシャンパンのせいだ!」(Alles liegt am Champagner!)という理由にしてハッピーエンドで終わるというお話です。
現在の日本では、「不貞の理由をシャンパンのせいにするなど言語道断!なんて軽薄な作品なんだ‼︎」と目くじらを立てるかたもいるかもしれません。
しかし、一歩引いて、では本作品がなぜ長い間、世界中で人気を博し続けているのか考えてみるのはいかがでしょうか?
この作品の成功は、単に音楽の美しさやストーリー構成の面白さだけでなく、作品が描くテーマが、初演当時(1870年代)のウィーン社会の深層心理と強く結びついていると指摘する解説も見られます。
登場人物は、社会的地位の高い人たち(資産家の夫妻や刑務所長)であるにも関わらず、公的な規範を一時的に脱ぎ捨て、秘密裏に仮装し、背徳的な快楽に身を投じようとします。19世紀末のオーストリア、ウィーンの社交界が内包していた、表面的な優雅さの裏に潜む背徳性、虚栄心、そして現実からの逃避願望、言い換えれば、ウィーン市民が切望した「軽薄さの美学」を巧みに戯画化したところが本作品の魅力だ、と言うのです。
何を言っているのか意味が分からない、、かもですね。
せっかくの機会ですので、後ほど少しだけ19世紀のオーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)の状況を振り返ってみたいと思いますが、まず先に『こうもり』という作品の理解を深めましょう。
『こうもり』は、1874年4月5日にウィーンの劇場で初演されて以来、「ウィーン・オペレッタの金字塔」として不動の地位を築きました。作曲したヨハン・シュトラウスII世は、元々「ワルツ王」として国際的な名声を得ていましたが、本作の成功によってオペレッタの作曲家としての地位をも確立しました。
なお、ヨハン・シュトラウスII世と「II世」を付けているのは、彼のパパもヨハン・シュトラウスと同姓同名かつ著名な音楽家であったためです。運動会やニューイヤコンサートで誰もが耳にしたことがある『ラデツキー行進曲』を作曲家したのは、パパシュトラウスになります。
ワルツ『美しく青きドナウ』を作曲したことでも知られる息子シュトラウスII世は、フランス・オペレッタの形式を取り入れつつ、ワルツ、ポルカ、マズルカといったウィーン特有の舞曲を劇中歌として完全に融合させ、新たにウィーン・オペレッタというジャンルを確立しました。
(ワルツは3拍子で優雅でゆったりとした舞曲ですが、ポルカは2拍子で跳ねるようなステップが特徴のチェコ起源の民族舞曲、マズルカは3拍子でポーランド特有の「マズルカリズム」を持つ舞曲です。)
では、登場人物を知っておきましょう。多いのですが、皆それなりに役割があるので挙げておきます。
・アイゼンシュタイン男爵:ロザリンデの夫で銀行家(第2幕のパーティでは「フランス貴族ルナール侯爵」のふりをする)
・ロザリンデ:アイゼンシュタインの妻(第2幕のパーティでは「ハンガリーの伯爵婦人」のふりをする)
・アルフレート:ロザリンデのことがまだ好きな元カレ、声楽の先生
・ファルケ博士:アイゼンシュタインの友人、あだ名は「こうもり」
・フランク:刑務所長(第2幕のパーティでは「フランス騎士シャグラン」のふりをする)
・オルロフスキー公爵:暇を持て余した裕福なロシアの貴族、第2幕のパーティを主催する(この役は、男性が演ずることも、女性が演ずることもあります)
・アデーレ:ロザリンデのメイド(第2幕のパーティでは「女優オルガ」のふりをする)
登場人物が多くて面食らったかもしれませんが、ざっくりとしたあらすじを見ていきましょう。
・舞台は19世紀末のオーストリア(初演当時の都会近郊の温泉町)で、大晦日の夜から元旦にかけてのお話です。
・第1幕は、アイゼンシュタイン邸です。
・ロザリンデの部屋の窓の下で、彼女の元カレでテノール歌手のアルフレートがセレナーデを歌っています。メイドのアデーレは、オルロフスキー公爵の仮面舞踏会に行きたくて、嘘の理由で夜に暇をもらいたいと申し出ようとしていました。今夜からロザリンデの夫のアイゼンシュタイン男爵が、数日間刑務所に入ることになっていたため、アルフレートはロザリンデに、旦那が家を空ける間に自分を受け入れてほしいと訴えます。[1a]
・アイゼンシュタインが怒りながら帰宅します。ポンコツ弁護士のせいで、執行猶予を交渉しに行ったのに逆に拘留期間を延ばされたためでした。すると友人のファルケ博士がやってきて、ある計画を提案します。刑務所に行くのは、翌朝に延期し、オルロフスキー公爵のパーティに「ルナール侯爵」として出て楽しもう、というのものでした。[1b]
・ロザリンデはアデーレに夜の休みを許可し、一方(刑務所に行くと言ってパーティに出る準備をする)アイゼンシュタインと(アルフレートを待つ)ロザリンデは、互いに別れを惜しむふりをします。[1c]
・アルフレートがロザリンデと機嫌よく酒を飲んでいると、刑務所長のフランクがアイゼンシュタインを拘束しにやって来ます。これは夫だと取りつくろうロザリンデの話に、フランクはアルフレートをアイゼンシュタインだと勘違いして刑務所に連行します。[1d]・第2幕は、オルロフスキー公爵の主催するパーティ会場です。
・オルロフスキー公爵が仮面をつけたゲストたちを歓迎しています。ファルケはこっそり公爵に、今夜は面白い余興があると知らせます。[2a]
・女優オルガ(実はメイドのアデーレ)が姉と共に現れ、続いてフランスのルナール侯爵(実はアイゼンシュタイン)が登場し、アイゼンシュタインは「うちのメイドにそっくり!」と口走ってしまいます。メイドのアデーレは、怒って「私はメイドなんかじゃない!」と歌います。[2b]
・アイゼンシュタイン扮する「侯爵」はハンガリーの伯爵夫人(実はロザリンデ)を口説こうとします。「伯爵夫人」は愛の証しとして彼から時計をもらい、ハンガリーの歌を歌います。[2c]
・ファルケが自分に奇妙なあだ名「こうもり博士」がついた理由を説明します。とある仮面舞踏会の夜、「侯爵」に置き去りにされ、こうもりの衣装のまま森で寝込んでしまい、翌朝、帰宅する道々で笑い者にされたのでした。だから今夜は侯爵にいたずらをしかけて復讐するのだと言います。オルロフスキーがシャンパンで乾杯の音頭を取り、人々は上機嫌でワルツを踊ります。[2d]
・夜が明けて時計が6時を告げ、アイゼンシュタインとフランクは仲良く退散します。[2e]・第3幕は、アイゼンシュタインが収監される予定の刑務所です。
・酔っぱらった看守のフロッシュが、アイゼンシュタインと間違われて収監されたアルフレートにさんざん歌を聴かされています。刑務所長のフランクもパーティに出ていて二日酔いです。[3a]
・そこへ例の「侯爵」が到着し本名を名乗るのですが、「アイゼンシュタインなら昨夜、奥さんと夕食中に逮捕されたよ」と告げられます。驚いたアイゼンシュタインはポンコツ弁護士に変装し事実を解明しようとしますが、そこにアルフレートを解放しようと訪ねてきたロザリンデが、弁護士だと勘違いして逢い引きしていたことを相談してしまいます。[3b]
・アイゼンシュタインが正体を現し、ロザリンデを責めますが、逆にパーティで巻き上げられた時計を見せられ恥をかきます。[3c]
・そこへファルケ博士が現れ、刑務所に集まった全員に「こうもりの復讐」のいたずらの種明かしをします。アイゼンシュタインは最初からみんな冗談に加担していたのだと知って安心する。アルフレートは、どこまで演技だったのか釈然としませんが、ちょっとした不品行はすべて「シャンパン」のせい、ということにして夫婦は仲直り、乾杯して終幕します。[3d]
第2幕のオルロフスキー邸では、アイゼンシュタインが「ルナール侯爵」、フランク刑務所長が「シャグラン・シュヴァリエ」、ロザリンデが「仮面のハンガリー伯爵夫人」と誰もが自分以外の者になりすます不思議な空間です。
実際に当時のウィーンでは頻繁に舞踏会が開かれていたと言われています。
得体の知れない者は必ずしも庶民だけではなく、皇太子ルドルフや当時のヨーロッパで指折りの美貌を誇ったと言われるオーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートその人も、身分を隠して仮面をかぶって舞踏会に行ったりしていたと言われています。銀行家も刑務所長も、皇后でさえも、自分自身でなくなるところを求めていたのが19世紀後半に入った頃のウィーンでした。
『こうもり』が初演されたのは1874年ですが、当時のウィーンについてどのようなイメージを持っていますか?
国は豊かで安定し、皆ワルツを踊り、ワインを飲み美味しいもの食べて、毎晩パーティをしていた、そんなキラキラしたイメージでしょうか?
実はその真逆で、オーストリア=ハンガリー帝国は1866年の普墺戦争でプロイセンに敗北し、帝国の威信は大きく傷ついていました。
さらに、経済・財政的に斜陽の中にあった同帝国は、『こうもり』初演の前年1873年にウィーン万国博覧会(万博)を開催し景気浮揚の起爆剤にしようとしていました。日本も初めて出展し、日本展は大ブームを巻き起こしたと言われています。
しかし、万博開幕の8日後、ウィーン証券取引所で株価の大暴落(「グリューンダー・クラッハ」)が発生し、これまでのバブル、投資ブームがはじけ、ウィーンでは自殺者が続出する重苦しい雰囲気に包まれていました。
『こうもり』が初演された1874年のウィーンはそんな状況でした。
だからこそ豪華絢爛な舞踏会を舞台とし、借金や刑罰といった現実の義務から一時的に逃避する『こうもり』の物語は、観客にとって必要不可欠な「公的な逃避メカニズム」として機能したと言われています。片時でも現実の困難を忘れ、シャンパンとワルツの陶酔に浸るというテーマは、まさにこの時代のウィーンの気分と完璧に共鳴していたのでしょう。
本作品の聴きどころですが、以下曲名でネット検索すると、有名なオペラ歌手が歌うそれの音源や映像を視聴できますので、オペラ鑑賞の前にこれだけ聴いておくだけでも感情移入しやくすなるかもしれません。
[1c] 「”So muß allein ich bleiben”(ひとりになるのね)」:ロザリンデと夫アイゼンシュタイン、メイドのアデーレの3人がそれぞれ本当の気持ちを押し隠して、表面上「良い妻」、「良い夫」、「良いメイド」を演じながら歌います。ロザリンデはアルフレートが遊びに来るので独りになりたいものの、夫を刑務所に送り出して独りになる妻として悲しまないといけない、アイゼンシュタインはこれから出かけるパーティで若い女性と出会えるのが楽しみで仕方がないが顔には出せない、アデーレはパーティに参加する口実として病気の母親を見舞うと言ってしまった手前嬉しそうな素振りは見せられない、と本音と建前が交錯する様子が見事に表現される三重唱です。
[2b] 「”Mein Herr Marquis“(侯爵様、あなたのような方は)」:第2幕で歌われるこの曲は、アデーレが偽りの身分「女優オルガ」を演じる際に、アイゼンシュタインにメイドであることを見破られそうになった瞬間に披露されます。アデーレは、優雅なレガートと技巧的なコロラトゥーラを駆使して、自身が洗練された女優であると主張し、アイゼンシュタインを完全に欺きます。軽妙なポルカのリズムに乗せて歌われるこの曲は、彼女の下層階級から上流階級への移行願望を表現しているとも言われます。
[2c] 「”Klänge der Heimat, Czárdás'”(ふるさとの調べよ)」:アイゼンシュタインの誘いをかわすため、ロザリンデが自らをハンガリー伯爵夫人として信じ込ませる「演技」の頂点として歌われます。チャールダーシュ(ハンガリーの民族舞曲)が持つ、緩やかなテンポのラッサン(Lassan)と、情熱的で急速なフリスカ(Friska)の劇的な対比が、ロザリンデの偽りの情熱と、偽装されたアイデンティティの劇的なインパクトを聴衆に与えます。これは、当時のハプスブルク帝国における多民族的な要素を劇作に組み込んだ、聴衆の関心を引く効果的な手法であったと言われています。
[2d] 「“Im Feuerstrom der Reben”(ぶどうの酒の燃える流れに)」:第2幕フィナーレで、宴の頂点に達した全員が陶酔状態で歌い上げるワルツです。シャンパンによって全てのモラルと分別が麻痺した状態を描写し、音楽は壮大で陶酔的であり、ウィーンのワルツの特徴である流れるようなリズムと、全員の合唱による熱狂的な高揚感が融合します。この曲こそが、作品の中心的メッセージである「刹那的な快楽による現実逃避」を象徴していると言われます。
このストーリーは煎じ詰めれば、「倦怠期を迎えた夫婦が、自己を偽って背徳的な非日常を楽しもうとしたが、失敗したのでシャンパンのせいにした」という軽薄なストーリーかもしれません。
第3幕でのアイゼンシュタインとロザリンデのやりとりは、逆にもう清々しささえ感じます。
アイゼンシュタイン:「ロザリンデよ、誠実なボクを許しておくれ。キミなら分かるよね?すべてはシャンパンのせいなんだ!」
ロザリンデ:「今日起こったことはすべて、私たちを苦しめたこともすべてシャンパンのせいだったのね!シャンパンは真実を教えてくれたわ。あなたの誠実さを、そしてあなたを悔い改めさせたのよ。」
結末の「すべてシャンパンのせいだ!」という決着は、現実の道徳的な責任を回避し、刹那的な喜びを肯定するという、世紀末ウィーンならではのシニカルな心の対処法だったのかもしれません。
一方で、「仮面を被り、責任から逃れ、快楽に浸りたいという根源的な願望」 こそが、時代を超えて『こうもり』が愛される魅力の源泉なのだとすると、それはやはり人間の性(さが)なのでしょうか?
自分のことを知られていない世界で何者かになれる、という欲望を叶えてくれるSNSや匿名インターネットサービスは、人間の本質を突いているのかもしれません。
皆さんはどう考えますか?
『こうもり』が面白そうだなと思ったら、音楽や映像を調べてみたり、劇場に足を運んでみてください。
※ 本記事は、初めてオペラに触れる人たちが、オペラのストーリーを「他人事」ではなく「自分事」として捉えられるよう、考えかたのヒントを提示するものになります。このため何が正解かを追求することよりも、様々な解釈ができることを楽しみ、他の解釈も尊重して頂きたいと考えています。多様な解釈の存在は多様な演出にも繋がります。その上で、ストーリーや解釈の上に乗って押し寄せてくる素晴らしい音楽を楽しんでください。それが皆さんにとって良い経験となるようでしたら、是非周りの皆さんとも共有して頂けるとありがたいです。
【参考文献】
『オペラ大図鑑』アラン・ライディング、レスリー・ダントン・ダイナー 河出書房新社
スタンダード・オペラ鑑賞ブック【新装版】『フランス&ロシア・オペラ+オペレッタ』 音楽之友社
オペラ対訳ライブラリー ヨハン・シュトラウスII世「こうもり」音楽之友社
『Opera オペラワンダーランド』ぴあ株式会社
『こうもり』 Wikipedia
『こうもり』- ワルツとユーモア、そしてシャンパン 奥田佳道 新国立劇場「The Atre」2025年11月号
新国立劇場2014/2015シーズン オペラ「こうもり」/ヨハン・シュトラウスII世『こうもり』新国立劇場nntt.jac.go.jp/opera/15diefledermaus/
『Synopsis: Die Fledermaus』 Metropolitan Opera metopera.org/user-information/synopses-archive/die-fledermaus
『Die Fledermaus』 The Kennedy Center kennedy-center.org/education/resources-for-educators/classroom-resources/media-and-interactives/media/opera/rep/late-romantic/die-fledermaus/
2025年1月 サントリーホール ニューイヤーコンサート 『プログラム・ノート』小宮正安 suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20250101newyear_notes.pdf
『Die Fledermaus』 Wikipedia en.wikipedia.org
