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#5 あなたには守るべきほどの友がいるか? – プッチーニ「トスカ」

今回取り上げるのは、プッチーニの「トスカ」です。
プッチーニは、イタリア出身の大オペラ作曲家で、「トスカ」以外にも「蝶々夫人」や「ラ・ボエーム」、「トゥーランドット」など有名なオペラ作品を数多く残しています。

さて今回取り上げる「トスカ」のストーリーは、1800年6月イタリアのローマという設定がされています。
あらすじをシンプルにまとめると次のようになります。

恋仲にある人気女性歌手と青年画家が、逃げ込んできた政治犯を匿ったところ、極悪警視総監に見つかり、青年画家を処刑で殺さないない代わりに、女性歌手に対し一時の情交を迫ります。女性歌手は警視総監の愛人になったふりをして隙を見て極悪警視総監を殺します。一方、青年画家は処刑の銃を空砲にすることで殺されないはずでしたが、実際には実弾が使われ命を落とします。青年画家の死に絶望した女性歌手は飛び降り自殺をして後を追います。

人気女性歌手が「トスカ」、青年画家が「カヴァラドッシ」、そして悪役の警視総監が「スカルピア」です。政治犯は「アンジェロッティ」で、結局、主要な登場人物は全て死んでしまうという衝撃的なストーリーです。
このオペラは、人気女性歌手「トスカ」と青年画家「カヴァラドッシ」の悲恋を描いた作品であるとともに、スカルピアのような極悪警視総監がなぜ幅を利かせられたのか時代考察したくなるような作品でもあります。さらに見方を変えると、そもそも悲恋のきっかけとなったのは、青年画家「カヴァラドッシ」が友人の政治犯「アンジェロッティ」を匿ったことでした。青年画家「カヴァラドッシ」が、なぜそのようなことをしようと思ったのか考えさせられる作品でもあります。

「トスカ」には原作があります。原作は、フランスの劇作家ヴィクトリアン・サルデゥが名女優サラ・ベルナールために書いた戯曲「ラ・トスカ」(初演1887年パリ)です。サラ・ベルナールは、アレクサンドル・デュマ・フィスが手がけた戯曲「椿姫」のヒロインでも大成功を収めた19世紀の名女優です。
「ラ・トスカ」を観劇したプッチーニがオペラ化したいと切望し、紆余曲折あってその権利を手に入れました。
プッチーニは、このドラマチックなストーリーに、ドラマチックな音楽を付けて傑出したオペラ作品へと昇華させました。

では、もう少し細かくオペラのあらすじを見ていきましょう。(後ろの括弧[1]は第1幕を意味します)

・舞台は1800年6月のイタリア、ローマです。
・ローマでは、英雄ナポレオン失脚の誤報に旧王政派が勢力が盛り返し、人々は警視総監スカルピアの恐怖政治におののいていました。政治犯アンジェロッティは脱獄に成功、妹の指図で舞台となる聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の礼拝堂に身を隠します。[1a]
・同じく反体制派の画家カヴァラドッシは、教会内でマリア像を制作していました。彼が密かにモデルにしている女性は、兄の救出の下検分に礼拝に訪れていた侯爵夫人でした。そこへ歌姫トスカが登場し、カヴァラドッシへの愛を歌い上げながらも、モデルの女性と人の気配に小さな嫉妬の炎を燃やします。[1b]
・入れ代りに現れたアンジェロッティに、カヴァラドッシは危急の際は、庭の井戸に隠れるよう指示し匿います。[1c]
・二人が去ると、ここを脱獄者の逃走経路と睨んだスカルピアが登場します。来合せたトスカの嫉妬心を弄びながら彼女への情欲を募らせます。[1d]

・舞台は、ファルネーゼ宮殿のスカルピアの執務室に変わります。
・カヴァラドッシを連行したスカルピアは、彼を拷問することによって、アンジェロッティの隠れ家を吐かせることと、トスカに恋人の苦痛を見せつけて彼女と取引する一石二鳥を目論みます。部屋に呼ばれたトスカは恋人の悲鳴に耐えきれず、隠れ場所を洩らしてしまいます。[2a]
・そのときナポレオン侵攻の報が入り、カヴァラドッシは勇躍しますが、スカルピアは彼を再び責め立て、半狂乱のトスカに恋人の釈放と引き換えに一時の情交を迫ります。スカルピアの要求を飲む代りに、空砲を使った見せかけの銃殺刑執行の約束を取りつけたトスカは、彼女に襲いかかる警視総監を咄嗟に卓上のナイフで刺し殺します。[2b]

・処刑を前にしたカヴァラドッシがここ聖アンジェロ城の屋上で、この世に別れを告げます。[3a]
・そこヘトス力が現れ、国外へ脱出するための通行証を手に、これからひと芝居打つことを伝えます。自由を手にする歓びにしばし二人で浸った後、トスカはいったん物陰へ隠れます。[3b]
・カヴァラドッシに対し銃殺刑が執行されます。銃声のあと、空砲だとばかり信じていたトスカが、倒れたフリをしているはずのカヴァラドッシに近寄ると、彼はすでに息絶えていました。警視総監殺しの発覚で追っ手が迫るなか、万事休すのトスカは城から飛び降りて自死します。[3c]

「ラ・トスカ」、「トスカ」のストーリーは、当時の人々に非常に受けたようです。
ストーリーの設定時期である1800年頃のヨーロッパを振り返ってみましょう。
フランスでは、1789年7月にフランス革命の発端となるバスチーユ占領が起き、1793年10月には王妃マリー・アントワネットが処刑されました。
1796年にナポレオンはフランスの将軍としてイタリアに侵入し、その翌年には北イタリアの占領していた地域をまとめ共和国を建国し、1798年には教皇領ローマもフランスの手に落ちました。
1805年、ナポレオンは自身を大統領とするイタリア共和国を建国しました。
本作品の設定が1800年6月であることを考えると、ストーリーと完全に時期が符合しないかもしれませんが、本作品の舞台であるローマでは、共和派(ナポレオン側)と旧王政派がまさにせめぎあっている時代でした。
ストーリーに戻ると、「極悪警視総監」(スカルピア)は当時の体制派の旧王政派であり、「政治犯」(アンジェロッティ)は共和派だったことになります。
我々は「政治犯」イコール「悪」と思いがちですが、旧王政派が現体制派であることが前提で、共和派が体制派になれば(実際になりました)旧王政派時代の政治犯は無罪放免となり、警視総監のような旧王政派の中枢メンバーは戦犯となるのが一般的です。つまり、善と悪が体制によりコロコロと入れ替わる時代でした。

「青年画家」であるカヴァラドッシは、「政治犯」のアンジェロッティを匿います。
そして「命をかけても君を守る」と言い、拷問を受けても口を割りませんでした。
登場人物が全員死んでしまうというこの衝撃的なストーリーのきっかけは、友だちをかばって匿ったことだったんです。
現代では、友人と言えどモンスター化するかもしれない政治犯を匿うのはコンプライアンス的にアウト、自分の身に何か及ぶ可能性を考えればリスク管理上好ましくない、さらに匿うとなれば1日24時間対応しなければならない可能性もあり、コスパは悪く、ワークライフもバランスしない、なんて思う方もいるかもしれません。
なぜカヴァラドッシはそんなことをしたのでしょうか?
皆さんには、そのようなことをしてまで守ろうと思う友だちはいますか?

以下に、要所要所で盛り上がっていく、トスカとカヴァラドッシ、スカルピアのアリア、重唱を記載しておきます。以下イタリア語の曲名でネット検索すると、有名なオペラ歌手が歌うそれの音源や映像を視聴できますので、オペラ鑑賞の前にこれだけ聴いておくだけでも感情移入しやくすなるかもしれません。
[1b] 「Recondita armonia(妙なる調和)」:カヴァラドッシは、自分の描いている肖像と恋人トスカが思いがけなく似ていることに気づき、トスカへの変らぬ愛を歌います。
[1d] 「Te Deum(テ・デウム)」:スカルピアはトスカの嫉妬心を煽って、トスカがアンジェロティを匿っている場所に向かうよう仕向けます。アンジェロティを捕えるだけでなく、トスカに対しても淫らな欲望を抱くスカルピアと、彼の目論見にまんまと乗せられるトスカの脆さを、厚みのあるオーケストラと合唱の響きが引き立てます。
[2a] 「Meno male! 」:トスカの歌うカンタータが裏で聞こえる中、スカルピアは捕らえたカヴァラドッシへ尋問、拷問を始めます。
[2b] 「Vissi d’arte vissi d’amore(歌に生き、愛に生き)」:スカルピアに理不尽な要求を迫られたトスカは、「歌に恋に生きて、他人には決して悪いことはせず、恵まれない人たちを密かに助け、祭壇には祈りと花を捧げてきたのに、神様はなぜこのような酷い仕打ちをするのですか?」と嘆きながら歌います。
[3a] 「E lucevan le stelle(星は光りぬ)」:カヴァラドッシは処刑が執行されると信じており、トスカに宛てて別れの手紙を書き始めるものの、自らの死と恋人との別れを想い絶望します。トスカと過ごした時間を回想し、「今ほど自分の命が惜しいと思ったことはない」と歌います。(その後、トスカから空砲による芝居の話を聞き歓喜しますが、芝居というのは嘘でした)

18世紀後半から20世紀初頭まで、ヨーロッパは王政から共和政、国民国家誕生から帝国主義へと変遷した激動の時代であり、時の権力者を巨悪とし成敗しつつも若い男女の大悲恋で幕を閉じる本作品は、市民にとって格好のエンターテイメントだったかもしれません。
善と悪が見極めにくい時代だったからこそ、自分が信じた友を守ることは、自身にとっての名誉であり、矜持(プライド)だったのでしょうか?
よろしかったら皆さんも考えてみてください。

もし「トスカ」が面白そうだなと思ったら、音楽や映像を調べてみたり、劇場に足を運んでみてください。

※ 本記事は、初めてオペラに触れる人たちが、オペラのストーリーを「他人事」ではなく「自分事」として捉えられるよう、考えかたのヒントを提示するものになります。このため何が正解かを追求することよりも、様々な解釈ができることを楽しみ、他の解釈も尊重して頂きたいと考えています。多様な解釈の存在は多様な演出にも繋がります。その上で、ストーリーや解釈の上に乗って押し寄せてくる素晴らしい音楽を楽しんでください。それが皆さんにとって良い経験となるようでしたら、是非周りの皆さんとも共有して頂けるとありがたいです。

【参考文献】
『オペラ大図鑑』アラン・ライディング、レスリー・ダントン・ダイナー 河出書房新社
スタンダード・オペラ鑑賞ブック『イタリア・オペラ(上)』 音楽之友社
『オペラ鑑賞辞典』中河原理 東京堂出版
『ナポレオン戦争全史』松村劭 原書房
『ブリタニカ国際大百科事典』

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