今回は、イタリアオペラの巨匠、プッチーニの大人気作品である『ラ・ボエーム』を取り上げます!
『ラ・ボエーム』・・・日本語ではあまり見られない「ラ・」から始まる単語に戸惑う人がいるかもしれません。
「ラ・ボエーム」は英語読みにすると「ザ・ボヘミアン」です。
すると、じゃあ「ボヘミアン」って何?と思うかもしれません。
今回のオペラの舞台である1830年頃のフランス、パリは、貧しいながらも夢や希望に満ちた若き芸術家たち(芸術家のタマゴ)、いわゆる「ボヘミアン」が多く暮らしていた時代でした。この「ボヘミアン」という言葉は、元々ヨーロッパを放浪する人たち(「ロマ」とも言われます)の多くがボヘミア出身であったことに由来するとされ、19世紀には社会の規範にとらわれず自由奔放な生活を送る芸術家集団を指すようになりました。
彼らは貧困や不遇にもめげず、自らの信念と理想を貫こうとし、仲間同士の強い友情で結ばれていました。
この作品は、そんなパリに住む貧しい芸術家のタマゴたち(男子4人、女子2人)の生活ぶりを背景に、若い恋人たちの純愛をテーマにした悲しい結末の青春物語です。若者たちが恋に落ちる場面から、喧騒、笑い、悩み、悲しい別れ、そしてヒロインの病死までが、息もつかせぬ流れのなかで展開していきます。
本作品をオペラ化したプッチーニは偉大な作曲家ですが、彼にも同じくイタリア、ミラノ音楽院での貧しい学生時代がありました。奨学金と叔父さんからの支援頼みでお金はない、しかしオペラ作曲家になりたいという大きな夢に向かって勉強に励んでいた頃でした。ミラノでは、彼の弟やオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』でも有名な音楽家マスカーニと質素な下宿で同居していたそうです。料理が禁じられている下宿で自炊したり、行きつけの安レストランでツケをためたりと、彼らの共同生活は貧乏ながらも活気に溢れていたと言われています。
そんなプッチーニが、貧しい若者たちによる青春群像劇を描いたアンリ・ミュルジェールの小説『ボヘミアンたちの生活情景』に共感し、彼自身の音楽を最大限に引き立てるよう、オペラ上の人物設定、ストーリーを大きくカスタマイズして自分好みのオペラを作り上げました。
それが、この『ラ・ボエーム』です。
どこにでもいる等身大の人間が繰り広げるドラマに、プッチーニの魔法のように甘く切ない、その上ドラマチックな音楽が溶け合い、観る人が最後には思わず涙ぐんでしまう、そんな仕掛けがぎゅうぎゅうに詰まった作品です。
どうでしょう?『ラ・ボエーム』ちょっと気になりませんか?
まず、登場人物を知っておきましょう。
4名の男子は、詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、音楽家ショナール、哲学者コッリーネです。
そして2名の女子は、お針子(はりこ)のミミ、歌手ムゼッタになります。
詩人ロドルフォとお針子(はりこ)ミミ、画家マルチェッロと歌手ムゼッタがカップルです。(途中でくっついたり、別れたり、喧嘩したりします)
その他に、大家さんやムゼッタのパトロンのような老紳士も出てきますが、覚えられなくなるのでこの6名だけ知っておけば十分です。
ちなみに、「お針子(はりこ)って何?」と思った方がいるかもしれません。お針子というのは、当時、洋服の仕立て屋や呉服屋に雇われ、裁縫を行っていた女性のことです。
それでは、早速あらすじを見ていきましょう。
・舞台は1830年頃、パリの学生街として知られるカルチェ・ラタンです。
・物語はクリスマス・イヴのパリ、凍えるような屋根裏部屋から始まります。詩人のロドルフォと画家のマルチェッロは、薪を買うお金もなく寒さに震え、ロドルフォは自作の原稿を燃やして暖を取るほどの貧しい生活を送っています。[1a]
・仕事でひと稼ぎした音楽家のショナールが食べ物や飲み物、葉巻を持って帰ってきます。宴会が始まったところに大家のブノアが入ってきて家賃を払うよう言いますが、彼にワインを振る舞い、女の話をして気をそらそうとします。そして、ブノアが浮気をしたことがあると認めると、男たちは憤慨したふりをして彼を追い出してしまいます。[1b]
・一同は外で食事をしようということになりますが、ロドルフォは急ぎの原稿を仕上げるため部屋に残ります。その時、隣の部屋に住むお針子のミミが、ろうそくの火を借りに訪れます。ミミが部屋を出ようとした際、誤って鍵を落としてしまい、火が消えた暗闇の中で二人が鍵を探すうちに手が触れ合います。この偶然の触れ合いがきっかけとなり、二人は互いに強く惹かれ合う運命的な恋に落ちます。意気投合した二人はクリスマスの賑わう街へと繰り出していきます。[1c]
・舞台はクリスマス・イヴの喧騒に包まれたカルチェ・ラタンのカフェ・モミュスの前に移ります。ロドルフォは仲間たちに新しい恋人ミミを紹介し、皆で賑やかに食事を始めます。[2a]
・そこへ、画家マルチェッロの元恋人である歌手ムゼッタが、新しいパトロンの老紳士アルチンドロを連れて現れます。ムゼッタは元彼マルチェッロの気を引くため、わざと大げさに振る舞い、自身の魅力を誇示するため挑発します。マルチェッロは当初、ムゼッタを無視しようとしますが、彼女の巧妙な策略に乗せられ、二人はめでたくよりを戻します。[2b]
・賑やかな雰囲気の中、若者たちは皆で巧みに勘定を老紳士に押し付け、その場から逃げ出します。[2c]
・2月の雪がしんしんと降る夜明け、舞台はパリ郊外のアンフェールの関門前にある酒場へと移ります。ロドルフォの冷たい態度に心を痛めるミミは、マルチェッロが働くこの酒場を訪れ、彼に悩みを打ち明けます。[3a]
・マルチェッロに問われたロドルフォは、ミミが重い病(結核)を患っており、貧しい自分では適切な治療を受けさせることができず、このままでは彼女を死なせてしまうという本心を涙ながらに吐露します。
物陰に隠れてその会話を聞いていたミミは、自らの命が長くないこと、そしてロドルフォが自分を深く愛しているがゆえに、苦渋の選択として別れを決意したことを悟ります。ミミは、ロドルフォとの別れを受け入れる決意を伝えます。[3b]
・これと同時に、マルチェッロとムゼッタもムゼッタの浮気を巡って喧嘩別れをします。二組のカップルの対照的な感情が交錯する中、ミミとロドルフォは、冬の間は一緒に過ごし、春が来るまで別れを延期することを約束します。[3c]
・数ヶ月後、舞台は再び第1幕と同じ屋根裏部屋へと戻ります。ロドルフォとマルチェッロは、それぞれミミとムゼッタへの想いを断ち切ることができず、仕事が手につかない状態です。[4a]
・その最中、ムゼッタが瀕死の状態のミミを連れて屋根裏部屋に駆け込んできます。仲間たちはミミを救おうと必死になります。ムゼッタは自分のイヤリングを売って医者と薬を呼びに走り、哲学者コッリーネは愛用の古い外套を質に入れに行くことを決意します。[4b]
・部屋にはロドルフォとミミの二人きりが残り、ロドルフォはかつてミミに贈ったピンクのマフを取り出し、二人は出会った夜の思い出を語り合います。しかし、ミミは激しい咳の発作に襲われ、ロドルフォの腕の中で静かに息を引き取ります。ショナールがミミの死を察すると、ロドルフォは絶望的な慟哭とともに愛する人の名を何度も叫びます。静かに幕が下り、物語は悲劇的な終焉を迎えます。[4c]
この作品は、1830年頃のパリが舞台と書きました。
世界史に詳しい人でしたら、1830年と言ったら「パリ(フランス)七月革命」でブルジョワ共和派を支持するパリ市民が蜂起して、シャルル10世の絶対主義体制を倒した頃ですね、と言うかもしれません。
また、美術が好きな人は、七月革命と言ったら画家ドラクロワの傑作「民衆を率いる自由の女神」が頭に浮かぶかもしれません。
アカデミックに捉えればその通りですが、あらすじを見ていただければ分かるとおり、1830年頃も今と変わらず、貧しくとも仲間と助け合ったり、誰かを惚れて好きになったり喧嘩して別れたりして全力で生きていました。
人間一人一人のレベルで見れば、実は今とあまり変わらない(似たりよったりな)のかもしれません。
そう考えれば、今わたしたちが誰にも言えず悩んでいることも、昔の人は似たようなことをもうとっくに悩んでいて、もしかしたらとっくに解決していた(うまく折り合いをつけていた)可能性もあります。
そう考えれば、少し気持ちが楽になるかもしれません。
話が逸れましたので、代表的なアリアや重唱の聴きどころについて触れていきます。
以下曲名でネット検索すると、有名なオペラ歌手が歌うそれの音源や映像を視聴できますので、オペラ鑑賞の前にこれだけ聴いておくだけでも感情移入しやくすなるかもしれません。
[1c] 「“Che gelida manina” (冷たい手を)」:ミミと出会ったロドルフォが、彼女の冷たい手を温めさせてほしいと歌いながら自己紹介をするアリアです。この歌は、ロドルフォがミミの手を取った瞬間から「神秘的な高まり」を見せ、二人の間に芽生える恋の予感を美しく表現します。ロドルフォの詩人としての繊細な感性や情熱的な性格が、このアリアを通じて聴衆に伝わります。
[1c] 「”Mi chiamano Mimì”(私の名はミミ)」:ロドルフォの歌に応える形で、ミミが自己紹介をするアリアです。彼女は自身の名前や花や詩を愛する質素な生活について歌います。このアリアは「穏やかな旋律から始まり」 、「優しく揺れ動き」、やがて「春の陽光を浴びたかのように青空へと舞い上がる」と評され、ミミの可憐で純真な性格を音楽的に表現しています。彼女の孤独な生活や、誰かに寄り添いたいという心の奥底にある願望も示唆される歌です。
[1c] 「”O soave fanciulla”(ああ愛らしき乙女)」:「冷たい手を」と「私の名はミミ」という二つのアリアに続いて歌われるこの二重唱は、ロドルフォとミミが互いの愛を確認し、恋が成就する瞬間を表現します。わずか15分足らずの間に、二人のアリアとこの二重唱が連続して演奏されることで、愛が芽生えるドラマティックな瞬間が凝縮されています。この二重唱は、しばしばロドルフォとミミがユニゾンで高いハ音を歌い上げる形で締めくくられ、二人の愛の高まりを象徴的に示します。
[2b] 「”Quando me’n vo'”(私が街を歩けば)」:クリスマスの賑わうカフェ・モミュスで、ムゼッタがマルチェッロの気を引くために歌う挑発的なアリアです。この歌は、艶っぽくマルチェッロにまとわりつくような旋律が特徴で、ロマン派オペラにおける誘惑の歌の典型とされますが、その表現力は「並じゃない」と評されます。ムゼッタの奔放で魅力的な性格を象徴し、マルチェッロが当初は無視を装いながらも、次第にその魅力に抗えなくなる様子が描かれます。このアリアは、劇中の緊張感を高め、ムゼッタとマルチェッロの複雑な関係性を浮き彫りにする重要な役割を果たします。
[3b] 「“Donde lieta uscì”(さようなら、恨みっこなし)」:ロドルフォが自身の貧しさゆえにミミの病気を治療できないと本心を打ち明けるのを物陰で聞いたミミが、ロドルフォを苦しませないために自ら別れを申し出る、感動的なアリアです。この歌は、愛するがゆえの自己犠牲と、別れを受け入れる切なさを表現し、ミミの純粋な愛と健気な心情を深く描き出します。
[3c] 「”Addio, dolce svegliare”(楽しい朝の目覚めも、さようなら)」:ミミとロドルフォが春が来るまで一緒にいることを約束する場面と、マルチェッロとムゼッタが喧嘩別れをする場面が同時に進行する四重唱です。この重唱では、ミミとロドルフォの悲しくも優しい別れの歌と、マルチェッロとムゼッタの痴話げんかが対照的に展開され、プッチーニの多層的な感情表現の巧みさを示しています。異なる感情を持つ二組のカップルの歌声が同時に響き合うことで、劇的な深みが増し、観客に強い印象を与えます。
[4a] 「”O Mimì, tu più non torni”(もうミミは戻って来ない)」:第4幕の冒頭、ロドルフォとマルチェッロが、それぞれミミとムゼッタへの未練を歌う二重唱です。二人は仕事をしているように見せかけながらも、失われた恋人たちのことを忘れられず、仕事が手につかない様子が描かれます。この歌は、失恋の悲しみと、過去の幸福な日々への郷愁を表現し、ミミの死が迫る前の静かな悲哀を予感させます。
[4b] 「”Vecchia zimarra”(古い外套よ)」:瀕死のミミのために薬代を工面しようと、哲学者コッリーネが愛用の古い外套を質に出す決意を歌うアリアです。この歌は、長年苦楽を共にした外套への別れを告げるものであり、コッリーネの実直で情に厚い性格と、仲間への深い友情を象徴しています。悲劇的な状況の中にあって、このアリアは人間的な温かさと犠牲の精神を際立たせ、聴衆に深い感動を与えます。
プッチーニ作曲のオペラ「ラ・ボエーム」は、19世紀パリの若き芸術家たちの生活を背景に、青春の輝き、愛の喜びと苦悩、そして避けられない死という普遍的なテーマを描き出した不朽の傑作です。物語は、詩人ロドルフォとお針子ミミの悲恋を中心に、貧困と夢、友情が織りなす日常を、4つの幕を通じて丹念に描写しています。
そんな『ラ・ボエーム』は後世の芸術作品にも多大な影響を与えました。
特に著名な例としては、ブロードウェイミュージカル『RENT(レント)』が挙げられます。この作品は、『ラ・ボエーム』の舞台を1990年代のニューヨークに置き換え、映像作家、ロックミュージシャン、パフォーマーといった現代版のボヘミアンたちが、青春の輝きや儚さを伝える物語として大ヒットしました。
これは『ラ・ボエーム』の初演からちょうど100年後の1996年にオフブロードウェイで初演され、その後ブロードウェイでロングラン公演を記録しました。
また、映画『ムーラン・ルージュ』も『ラ・ボエーム』などを元に制作されていると言われています。
そんな『ラ・ボエーム』、劇場に響き渡る歌声を聴いたみたいと思いませんか?
皆さんそれぞれ気になるところがあれば、ぜひ掘り下げて頂ければと思います。
そして『ラ・ボエーム』が面白そうだなと思ったら、音楽や映像を調べてみたり、劇場に足を運んでみてください。
※ 本記事は、初めてオペラに触れる人たちが、オペラのストーリーを「他人事」ではなく「自分事」として捉えられるよう、考えかたのヒントを提示するものになります。このため何が正解かを追求することよりも、様々な解釈ができることを楽しみ、他の解釈も尊重して頂きたいと考えています。多様な解釈の存在は多様な演出にも繋がります。その上で、ストーリーや解釈の上に乗って押し寄せてくる素晴らしい音楽を楽しんでください。それが皆さんにとって良い経験となるようでしたら、是非周りの皆さんとも共有して頂けるとありがたいです。
【参考文献】
『オペラ大図鑑』アラン・ライディング、レスリー・ダントン・ダイナー 河出書房新社
スタンダード・オペラ鑑賞ブック『イタリア・オペラ(上)』 音楽之友社
作曲家:人と作品シリーズ『プッチーニ』南條年章 音楽之友社
オペラ対訳ライブラリー プッチーニ『ラ・ボエーム』 音楽之友社
『Opera オペラワンダーランド』ぴあ株式会社
『ラ・ボエーム』 Wikipedia
『ラ・ボエーム』アンリ・ミュルジェール著 辻村永樹訳 光文社古典新訳文庫
『ボヘミアンの文化史―パリに生きた作家と芸術家たち』 小倉孝誠 平凡社
新国立劇場『ラ・ボエーム』2025/2026シーズン nntt.jac.go.jp/opera/laboheme/
新国立劇場、美しくも儚い永遠のラブストーリー プッチーニの青春オペラ『ラ・ボエーム』を上演 エンタメ特化型メディアSPICE イープラス spice.eplus.jp/articles/339686
新国立劇場『ラ・ボエーム』2011/2012シーズン 公演特別サイト nntt.jac.go.jp/atre/11laboheme/intro/index.html
nntt.jac.go.jp/opera/20000457_3_opera.html
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.19『《ラ・ボエーム》のパラレルワールド?オペラとあわせて楽しさ2倍の原作初完訳』 ontomo-mag.com/article/column/iiongaku19-20200402/
新国立劇場『ラ・ボエーム』「リアル」と「夢」の絶妙な融合─『ラ・ボエーム』と粟國演出の魅力』 加藤浩子 2023年5月30日nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/6_025616.html