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#4 恋愛や夢の追求を継続することの難しさ!! – モーツァルト「コジ・ファントゥッテ」

オペラが初めての方に興味や関心をもって頂くための解説シリーズ第4弾は、モーツァルト作のオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」です。
モーツァルトは、音楽の教科書や音楽室の肖像画でも見られる多くの人が知っている大音楽家です。
彼は35歳と若くして亡くなりますが、それまでに協奏曲や交響曲、ピアノ・ソナタ、ミサ、レクイエムに加え、幾つもの名作オペラを残しています。

モーツァルトの代表的なオペラと言えば、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョバンニ」や「魔笛」が挙がりますが、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョバンニ」と並んでイタリアの詩人ダ・ポンテが台本を手がけたもう一つの作品が「コジ・ファン・トゥッテ」です。この三作品は、ダ・ポンテによるイタリア語台本三部作とも言われています。

一部のかたは、「コジ・ファン・トゥッテ」というタイトルを聞いただけで「うーん、ピンとこない」と思われるでしょう。「コジ・ファン・トゥッテ(Così fan tutte)」というのは、イタリア語で「女はみんなこうしたもの」という意味で、タイトルとしてはちょっと攻めた感じになっています。

ストーリーを一行にまとめれば、「女性が純愛を貫けるかのゲームをして、結果貫けなかったけれど、許してあげてね」という内容です。これだけ聞くと、「内容が薄っぺらい」、「女性の不貞をオペラにするな」と思われる方がいるかもしれません。
本作品は、1790年(18世紀後半)に初演されましたが、同じような意見が多く、19世紀を通じて内容が不道徳であるとして評価は低いままでした。ベートヴェンやワーグナーも酷評し、おそらく19世紀の人々に聞いたら「あれが駄作なのは常識だよ」と口を揃えて答えたでしょう。

しかし、20世紀に入ると本作品の評価は変わります。
そのきっかけとなったのは、リヒャルト・シュトラウスです。彼は、管弦楽作品とオペラの両方で偉大な作品を残した音楽家です。彼は「コジ・ファン・トゥッテ」の登場人物の心理に真に迫る楽曲の素晴らしさに気づきました。
また、時代は変わり、人間のより深い本質的な部分に対する解釈が進むと、本作が扱う「変心(心変わり)」の必然とその向き合い方について、非常に示唆に富んでいるという見方がされるようになりました。

オペラは西洋から生まれたものですが、我々は東洋の文化・思想も知っています。
東洋には「仏教、禅」があり、その考え方の中に「無常」というものがあります。
平家物語の冒頭に出てくる「諸行無常」のあの「無常」です。
この考え方は、「徒然草」や「方丈記」にも出てきます。
「無常」とは、粗い説明をすれば「物事は変わり続け、同じ状態に留まらないこと」です。
川は何千年以上前からありますが、流れている水は違いますし、人間も同じ人格で何十年も行きますが、食事・排泄をしながら体の細胞を絶えず入れ替えて生きています。もっと長い目で見れば土に還っていきます。
時間という概念がある以上、時ともに物事が変化するという「無常」は、ある意味当然で、であれば人の心も同じく「無常」のはずです。だからこそ、ブレない「愛」や「夢」、「信念」を持ち続けるのはとてつもなく大変という話になります。しかし、全ての人間がそれを完全に出来るわけではありませんので、失敗・挫折したとしても、どこかのタイミングで「許して」「忘れて」その先の人生を歩んでいく必要があります。
しかし「知ること」や「気づくこと」はある意味残酷で、「許して」も元通りに戻るかどうかはわかりません。「無常」だけが永遠に続くのですから、、
そう考えると、「コジ・ファン・トゥッテ」のストーリーそのものになるんです。

本作は、ダ・ポンテによるイタリア語台本三部作の最終作となります。「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」で成功した後の作品です。
オペラの原作は通常、当時流行していた戯曲や小説であると他で書きましたが、本作は原作がなくダ・ポンテがゼロからストーリーを作成したと言われています。
ダ・ポンテはユダヤ人家系出身ですが、幼少期にキリスト教に改宗し、その後聖職につきながら放蕩してヴェネツィアから追放され、ウィーンでサリエリ、モーツァルトと出会いオペラの台本作家になり成功しました。女性遊びも派手だったという説もあります。勝手な推測ですが、人より多くの成功や失敗を経験していたような気がします。

当時のオペラは1日の出来事を題材するといった型があったり、当時恋愛ゲームのようなことが流行っていたなどという解説もありますが、ダ・ポンテがどこまで達観していたのか頭の中は分かりません。
ただ、薄ぺっらい作品しか書けない台本作家だったのでしょうか?
考えるのは自由ですので、皆さんも色々と思いを巡らし本作品を観ていただきたいと思います。

だいぶ回り道をしましたが、以下が簡単なあらすじになります。(後ろの括弧[1]は第1幕を意味します)

・舞台は18世紀末のナポリです。
・青年士官のフェランドとグリエルモは、それぞれフィオルディリージとドラベッラという姉妹と相思相愛の関係にありました。[1a]
・老哲学者ドン・アルフォンソは「女は必ず心変わりする」と主張し、「それは絶対にあり得ない」というフェランド、グリエルモと賭けをすることにしました。賭けの間、2人はドン・アルフォンソの指示に従うことになりました。[1b]
・フィオルディリージとドラベッラの知人でもあるドン・アルフォンソは、姉妹にフェランドとグリエルモが国王の命令で戦地に赴くことになったと伝えます。[1c]
・フェランドとグリエルモが現れ、別れを嘆き悲しむふりをします。4人の恋人たちは別れを告げ、愛を誓い合いますが、ドン・アルフォンソは「笑いが止まらない」と歌います。[1d]
・兵士たちが乗った船が出発すると、残された三人は航海の無事を祈ります。[1e]
・フィオルディリージとドラベッラの家では、女中のデスピーナが愚痴をこぼしながら働いています。そこに姉妹が、突然の恋人との別れを嘆きながら帰ってきます。ドラベッラは、絶望の歌を歌い、デスピーナは、男は幾らでもいるのだからと「男や兵士の貞節なんて」と歌います。[1f]
・ドン・アルフォンソはデスピーナを巻き込み、芝居に協力させます。ドン・アルフォンソは「アルバニア人」に変装したフェランドとグリエルモをデスピーナに紹介します。フィオルディリージとドラベッラが現れ、2人の男を追い出そうとしますが、ドン・アルフォンソは彼らは自分の古い友人たちだと偽ります。[1g]
・変装した2人は姉妹に求愛しますが、フィオルディリージは貞節を誓うアリアを歌います。グリエルモは求愛の歌を歌いますが、姉妹は立ち去ります。2人の青年は賭けに勝ったと笑いますが、ドン・アルフォンソはまだ芝居を続けろと命じます。[1h]
・フェランドは愛のアリアを歌い、姉妹は恋人を想う二重唱を歌います。[1i]
・そこへ変装したフェランドとグリエルモが現れ、絶望のあまり毒を飲んだふりをします。姉妹は驚き、変装した2人に同情しかかります。医者に変装したデスピーナが現れ、「磁気療法」を施し、のた打ち回る2人を支えるように姉妹に命じます。意識を取り戻した2人は姉妹にキスを迫ります。[1j]

・デスピーナはフィオルディリージとドラベッラに「気晴らし」することを勧めます。姉妹は互いに気になる相手を問うと、実際とは逆の恋人を選んでしまいます。[2a]
・その後、ドン・アルフォンソとデスピーナが四人をくっつけようと画策します。グリエルモがドラベッラを口説くと、ドラベッラは陥落してしまいます。[2b]
・一方、フィオルディリージはフェランドの求愛を拒絶したものの心は揺れ動きます。[2c]
・フェランドとグリエルモは互いの首尾を報告します。グリエルモはフィオルディリージの貞節を喜びますが、フェランドはドラベッラの心変わりにショックを受けます。グリエルモはフェランドをなぐさめるために「女はたくさんの男と付き合うものだ」と歌います。フェランドは裏切られたと嘆きます。ドン・アルフォンソはさらに実験を続けると宣言します。[2d]
・苦悩するフィオルディリージに向かって、ドラベッラは恋の楽しさを陽気に歌います。フィオルディリージは貞節を守るために恋人のいる戦場へ行こうと決意し軍服をまといます。しかし、そこに現れたフェランドの激しい求愛のために、フィオルディリージもついに陥落します。[2e]
・賭けに勝ったドン・アルフォンソは、互いに認め合いそれぞれの恋人と結婚するよう提案し、「女はみなこうしたもの」と歌います。[2f]
・結婚式の祝宴の準備が進められ、フィオルディリージとフェランド、ドラベッラとグリエルモのカップルが登場します。公証人に扮したデスピーナが現れ、2組のカップルは結婚の証書にサインします。[2g]
・そこに兵士たちの歌声が響き、婚約者たちが戻ってきたと知らされ、姉妹は呆然とします。変装を解いたフェランドとグリエルモが現れます。2人の青年は結婚証書を見つけて激怒し、姉妹は平謝りします。そこですべてが種明かしされ、一同なんとか和解した形で幕となります。[2h]

最後に恋人たちの心情の変化を感じ取るのに良いと思われるアリア、重唱を以下に記載しておきます。以下イタリア語の曲名でネット検索すると、有名なオペラ歌手が歌うそれの音源や映像を視聴できますので、オペラ鑑賞の前にこれだけ聴いておくだけでも感情移入しやくすなるかもしれません。
[1e] 「Soave il vento(風よおだやかなれ)」: 
戦地に赴く青年たちを見送る姉妹とドン・アルフォンソが歌う三重唱です。無事を祈る姉妹の声とドン・アルフォンソの男声が甘美な調和をもたらします。
[1h] 「Come scoglio immoto reata(風や嵐にもめげず)」:フィオルディリージが「断固として貞節を貫く」と宣言するソプラノの難曲です。ですが、これから起こることの壮大な前振りとなってしまうという皮肉も込められています。
[1i] 「Un’aura amorosa del nostro tesoro(愛しき人の愛のそよ風は)」:ゲームのはずなのに、フェランドがあまりに叙情的なアリアを歌います。オペラを一時止めてしまうと言われるほどの甘いカンタービレです。
[2e] 「Fra gli amplessi in pochi istanti(もうすぐ私の誠実な婚約者の胸に抱かれるわ)」:あくまでも貞節を守ろうとするフィオルディリージが、フェランドの猛アタックに心を許すまでの描写をモーツァルトが巧みに重唱に昇華させました。

100年以上見向きもされなかったものでも、その後評価は変わりました。ちょっとした恋愛指南書のような作品ですが、極論だと言われようと色々と思索を巡らすと広がりを楽しめるテーマだと思いませんか?
もし「コジ・ファン・トゥッテ」が面白そうだなと思ったら、音楽や映像を調べてみたり、劇場に足を運んでみてください。

※ 本記事は、初めてオペラに触れる人たちが、オペラのストーリーを「他人事」ではなく「自分事」として捉えられるよう、考えかたのヒントを提示するものになります。このため何が正解かを追求することよりも、様々な解釈ができることを楽しみ、他の解釈も尊重して頂きたいと考えています。多様な解釈の存在は多様な演出にも繋がります。その上で、ストーリーや解釈の上に乗って押し寄せてくる素晴らしい音楽を楽しんでください。それが皆さんにとって良い経験となるようでしたら、是非周りの皆さんとも共有して頂けるとありがたいです。

【参考文献】
『オペラ大図鑑』アラン・ライディング、レスリー・ダントン・ダイナー 河出書房新社
スタンダード・オペラ鑑賞ブック『ドイツ・オペラ(上)』 音楽之友社
新国立劇場オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』のプログラム (2024年5月)
『モーツァルトとオペラの政治学』 三宅新三 青弓社
『新イタリア・オペラ史』水谷彰良 音楽之友社

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