もしあなたが、大好きな人に「本当は愛していない。」とウソの手紙を書かなければ、大切な家族の命が奪われるとしたら――あなたはどうしますか?
アルプスの山々に囲まれた美しい村。誕生日を祝う人たちの歌声が響く中、一人の女性が大好きな彼の到着を待っています。彼の名前は「カルロ」。けれども、その名前は偽りで、実はこの土地を治める領主の一人息子でした。
今の時代だったら、「うわ、御曹司ラッキー!」、「ワンチャン玉の輿かも!!」と思うかもしれませんが、17世紀の中世ヨーロッパではそんな展開になりません。
身分違いの恋、領主一族が隠し持つ血塗られた秘密、そして愛を引き裂くために仕組まれた一通の手紙……。
今回は、イタリアが誇るオペラ作曲家ヴェルディが36歳のときに発表したオペラ『ルイーザ・ミラー』について解説します。
この作品の原作者は、ドイツの文豪フリードリヒ・フォン・シラーです。
皆さんは、シラーを知っていますか?
ベートーヴェンの「第九」の合唱、年末になると日本中で歌われるあの「歓喜の歌」の詩を書いた、あの人です。
その詩人が若き日に書いた「身分違いの恋」の悲劇を、ヴェルディがオペラにしたのが本作です!!
ちょっと気になりませんか?
シラーが戯曲『たくらみと恋(Kabale und Liebe)』を書いたのは1784年、彼がまだ24歳の頃です。当時のドイツは、神聖ローマ帝国のもとで大小300ともいわれる領邦(小さな国々)に分かれ、それぞれの君主が絶対的な権力をふるっていました。シラー自身、故郷ヴュルテンベルク公国の君主から、デビュー作『群盗』の上演をきっかけに禁固と執筆禁止を言い渡され、夜逃げ同然で国を飛び出したという経験を持っています。
そんな彼が、権力を握る宮廷の腐敗と、それに踏みにじられる市民の娘の純愛を真正面から描いたのが『たくらみと恋』でした。実はこの戯曲、もともとの題名は『ルイーゼ・ミラーリン(ミラー家の娘ルイーゼ)』で、ヴェルディのオペラの題名『ルイーザ・ミラー』は、いわばシラーが最初に付けた題名に「先祖返り」したとも言えます。
ヴェルディが本作を作曲した1849年のイタリアは、前年にヨーロッパ全土を揺るがした「1848年革命」の熱気と挫折のさなかにありました。ヴェルディ自身も、同じ年の1月には祖国統一(リソルジメント)への想いを込めた愛国オペラ『レニャーノの戦い』を発表したばかりでした。しかし、革命の嵐が過ぎ去る中で、ヴェルディは国家や英雄を描く「大作路線」から、ひとりひとりの人間や家族の内面を見つめる「親密なドラマ」へと大きく舵を切ります。
その転換点となったのが本作であり、この延長線上に、のちの『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』という「中期三大傑作」が生まれます。ヴェルディ15作目のオペラ『ルイーザ・ミラー』は、まさに巨匠ヴェルディが「人間ドラマのヴェルディ」になる瞬間を記録した作品といえるかもしれません。
ストーリーを簡潔にまとめると以下の通りです。
17世紀初頭のヨーロッパ、チロル地方の村。退役軍人ミラーの娘ルイーザは「カルロ」と名乗る青年と恋に落ちますが、彼の正体は領主ヴァルター伯爵の息子ロドルフォでした。息子を高貴な公妃フェデリーカと結婚させたい伯爵と、ルイーザに片想いしていた伯爵部下のヴルムは、ルイーザのパパ(退役軍人ミラー)を投獄し、釈放と引き換えにルイーザに「心変わりの手紙」を書かせます。裏切られたと信じたロドルフォは、ルイーザと共に毒をあおり、死の間際にようやく真実を知るのでした。
「手紙一枚でそこまで信じちゃうの!?」、「本当のことを言えばいいのに、、」と思いましたか?
電話もインターネットもない時代、遠く離れた相手の心を知る手段は手紙だけでした。見慣れた恋人の筆跡で書かれた言葉は、それだけで「動かぬ証拠」でした。そしてルイーザは、父の命と引き換えに「手紙は自分の意思で書いた」と神に誓わされていました。信仰心の篤い彼女にとって、その誓いを破ることは、恋人を失うのと同じくらい恐ろしいことだったのかもしれません。
そしてこの物語には、もう一つ大事な仕掛けがあります。それは、娘を想う「平民のパパ(村民)」と、息子を想う「貴族のパパ(城主)」という、2人のパパの存在です。
どちらも我が子を愛しているはずなのに、なぜ悲劇は止められなかったのでしょうか?
登場人物とあらすじをもう少し見ていきます。
主要な登場人物は、「村の父と娘」、「城の父と息子」の2組の親子と、城側の部下と伯爵が息子の結婚相手に選んだ公妃の計6人です。とりあえず、この6人を押さえておきましょう。
村の父と娘は、退役軍人の「ミラー」と、その娘で本作の主人公「ルイーザ」です。
城の父と息子は、この地の領主「ヴァルター伯爵」と、その息子「ロドルフォ」です。ロドルフォは身分を隠し、「カルロ」と名乗ってルイーザと付き合っています。
城側の2人は、伯爵の部下(秘書)でルイーザに片想いしている「ヴルム」と、若くして未亡人となった「フェデリーカ(オストハイム公妃)」です。フェデリーカはロドルフォの幼なじみで、伯爵が息子の結婚相手に選んだ女性です。
以下あらすじとなります。(カッコ[1]は第1幕を意味します)
・舞台は17世紀初頭のチロル地方の村です。
第1幕:「愛」
・村ではルイーザの誕生日を祝うため、村人たちが集まっています。しかしルイーザは、恋人のカルロがまだ来ないので気が気ではありません。父ミラーは、素性の知れない若者に娘が騙されているのではないかと心配しています。やがてカルロが現れ、2人は喜び合い、皆で教会へ向かいます。[1a]
・一人残ったミラーのもとに、伯爵の腹心ヴルムが現れ、以前に頼んでいたルイーザとの結婚の約束を果たすよう迫ります。ミラーは「伴侶を選ぶのは娘の自由だ」とはねつけますが、ヴルムは腹いせに「カルロの正体は伯爵の息子ロドルフォだ」と暴露します。心配が現実となったミラーは怒りに震えます。[1b]
・城では、ヴルムが伯爵に「若様が村娘に夢中です」と告げ口します。伯爵は、息子のためにすべてを捧げてきたのにと嘆き、ロドルフォに姪のフェデリーカ公妃との結婚を命じます。[1c]
・フェデリーカと二人きりになったロドルフォは、彼女の誠実さに賭け、「私には他に愛する人がいます」と正直に打ち明けます。幼い頃からロドルフォを慕い、結婚を心待ちにしていたフェデリーカは深く傷つき、結婚を諦めないと言い放ちます。[1d]
・ミラーの家で、ルイーザは父から恋人の正体と、彼が公妃と結婚するらしいことを聞かされ、打ちのめされます。そこへロドルフォが現れ、名前を偽ったことを詫び、変わらぬ愛を誓います。しかし伯爵が兵を率いて乗り込み、「財産目当ての娘」とルイーザを侮辱します。娘を辱められたミラーは剣を抜き、伯爵はミラー父娘の逮捕を命じます。追い詰められたロドルフォは、「あなたがどうやって伯爵の地位を手に入れたか、皆の前で暴いてやる」と父に迫ります。青ざめた伯爵はルイーザを解放しますが、ミラーは城へ連行されてしまいます。[1e]第2幕:「企み(たくらみ)」
・村人たちから、父ミラーが城で手荒く扱われていると聞かされたルイーザのもとに、ヴルムが現れます。ヴルムは、父を救いたければ「ロドルフォを愛したのは財産目当てだった。本当に愛しているのはヴルムで、一緒に逃げてほしい」という手紙を書け、と迫ります。ルイーザは神に祈りながら苦悩した末に手紙を書き、さらに「この手紙は自分の意思で書いた」と城で証言することを誓わされます。[2a]
・城では、伯爵とヴルムが、かつて二人で先代の領主(伯爵の従兄)を暗殺して地位を奪った秘密を、ロドルフォが知っていることに怯えています。二人は、露見すれば共に処刑台へ上ろうと誓い合います。[2b]
・伯爵は、心配するフェデリーカの前にルイーザを呼び出し、「本当に愛しているのはヴルムです」と偽りの告白をさせます。フェデリーカはそれを聞いて安堵します。[2c]
・城の庭園で、一人の農夫(伯爵らの差し金)がロドルフォに例の手紙を手渡します。裏切られたと信じたロドルフォは、ルイーザと過ごした幸せな夜を思い返して嘆きます。ロドルフォはヴルムに拳銃での決闘を挑みますが、ヴルムは空に向けて一発撃って逃げ去ります。駆けつけた伯爵は「公妃と結婚することが、あの娘への復讐になる」とそそのかし、自暴自棄のロドルフォは結婚を承諾してしまいます。[2d]
第3幕:「毒薬」
・ミラーの家では、友人ラウラや村娘たちが沈み込むルイーザを慰めています。そこへ釈放されたミラーが戻ります。父は、娘が自分を救うために心にもない手紙を書いたことを知り、感謝します。しかし、娘がロドルフォに宛てて書いた「墓の中でお待ちしています」という手紙を読み、彼女が死を決意していることに気付きます。父の必死の説得に、ルイーザは死を思いとどまり、夜明けとともに二人で村を去ろうと決意します。[3a]
・教会からオルガンの音が聞こえる中、ルイーザが一人祈っていると、ロドルフォがそっと忍び込み、杯に毒薬を注ぎます。「この手紙は本当にあなたが書いたのか」と問うロドルフォに、誓いに縛られたルイーザは「はい」と答えるしかありません。ロドルフォは毒入りの杯を飲み干し、ルイーザにも飲ませます。[3b]
・杯に毒が入っていたと知らされたルイーザは、死を前にして誓いから解き放たれ、「あの手紙は父を救うために無理やり書かされたのです」と真実を告白します。ロドルフォは無実の恋人を死なせてしまうことに絶望し、自らの生まれと一族の血を呪います。戻ってきたミラーに抱かれ、ルイーザは父と恋人に別れを告げて息を引き取ります。[3c]
・そこへ伯爵とヴルムが駆けつけます。ロドルフォは最後の力を振り絞ってヴルムを刺し殺し、父に「これがあなたへの罰だ」と言い残して、ルイーザの傍らで息絶えます。舞台には、我が子を失った2人の父親だけが残されます。[3d]
このお話の舞台は、「17世紀初頭ヨーロッパのチロル地方」と書きました。
チロルは、現在のオーストリア西部(チロル州)からイタリア北部(南チロル)にまたがる、アルプス山脈の東側の地域です。実はシラーの原作は、作者と同時代の18世紀ドイツの、とある小国の宮廷が舞台でした。ところが、本作が初演されたナポリ(当時は両シチリア王国)では政府の検閲が厳しく、「君主の宮廷の腐敗」をそのまま舞台に乗せることはできませんでした。そこで台本作家カンマラーノは、物語を時代も場所も遠く離れた「200年近く前のアルプスの村」に移し、政治色を薄めたのです。
とはいえ、この「チロル」という舞台設定は、結果的に物語にぴったりの土地でした。
17世紀初頭のチロルは、神聖ローマ帝国の一部であり、ハプスブルク家の大公(皇帝の一族)が中心都市インスブルックの宮廷から治める土地でした。ドイツとイタリアを結ぶブレンナー峠を擁する交通の要衝で、シュヴァーツの銀山がもたらす富でも知られていました。ちなみに、チロルのハルという町で15世紀末に鋳造された大型銀貨は、のちの「ターラー銀貨」の先駆けとなり、この「ターラー」がアメリカの通貨「ドル(ダラー、dollar)」の語源になったと言われています。アルプスの山奥の銀が、巡り巡って現代のドルにつながっているというのは面白いですね。
本作品ではチロルの人々の身分が悲劇を生むはどうだったのでしょうか?
世界史で「再版農奴制」という言葉を習った方もいるかもしれません。同じ時代、エルベ川以東のドイツ東部などでは、領主が農民を土地に縛りつけ、農奴として厳しく支配していました。ところがチロルの農民は、土地の保有や一定の自由が認められ、聖職者・貴族・都市の代表と並んで、身分制議会(領邦議会)に代表を送ることができたのです。ヨーロッパでもかなり珍しい存在でした。
さらに1511年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は「ラントリベル(Landlibell)」と呼ばれる取り決めで、チロルの人々に「自分たちの土地は自分たちで守る」義務と権利を与えました。これが、今もチロルの祭りで見られる民兵「シュッツェン」の伝統の始まりと言われています。領主の側近に対しても一歩も引かず、「娘の結婚は娘が決める」と言い切るミラーの誇り高さは、こうした独立心の強いチロルの気風と重ねてみると、より説得力を持って見えてきます。
しかし、どれだけ農民に自由があったとしても、貴族と平民の結婚は別問題でした。身分の違う者同士の結婚は「貴賤結婚」と呼ばれ、厳しく制限されていたのです。
そのことをよく表すのが、チロルを治めたフェルディナント2世大公の結婚です。彼は1557年、アウクスブルクの豪商ヴェルザー家の娘フィリッピーネと、周囲に隠して結婚しました。ヴェルザー家は、皇帝カール5世(前回の『エルナーニ』に登場したドン・カルロ)に巨額の資金を貸し付け、南米ベネズエラの植民権まで与えられたほどの大富豪でしたが、それでも「貴族ではない」という理由で、二人の結婚は長く秘密にされ、生まれた子どもたちには大公家の継承権が認められませんでした。
皇帝の一族ですら、平民の娘を正式な妻として迎えるにはこれだけの壁があったのです。ヴァルター伯爵にとって、跡取り息子が村娘と結婚することは、一族の血統と権力を危うくする「ありえない」選択だったことがわかります。
もう一つ、「17世紀初頭」という時代にも注目してみましょう。1618年には、ヨーロッパ全土を巻き込む宗教戦争「三十年戦争」が始まります。ミラーのような兵士は、領主の権力を支える駒として戦場に駆り出される存在でした。命がけで仕えた末に、退役後は領主の気まぐれ一つで投獄されてしまうミラーの姿には、当時の兵士の弱い立場が映し出されているとも言えます。
ちなみにシラーの原作では、ミラーは兵士ではなく町の楽士(音楽家)でした。また原作には、君主が自国の若者たちを兵士としてイギリスに売り渡し、アメリカ独立戦争の戦場へ送り込むという衝撃的な場面があります。これは、ドイツの小国の君主たちが実際にイギリスへ兵士を貸し出し、その代金で宮廷の贅沢をまかなっていた史実を告発したものでした。オペラではこうした政治批判はほとんど削られましたが、「権力のために暗殺も偽の手紙も辞さない貴族(城)」と「貧しくとも愛と信仰を重んじる平民(村)」の対比は、しっかりと受け継がれています。
本作のあらすじ、背景を知った上で、代表的なアリアや重唱等の聴きどころについて触れていきます。
『ルイーザ・ミラー』は、19世紀後半にはテノールのアリア〈穏やかな夜には〉ばかりが有名になり、全曲が上演される機会が減ってしまいましたが、20世紀後半にその価値が見直され、今では世界各地の歌劇場で上演されています。父と娘の深い絆、愛と疑いに引き裂かれる恋人たち、そして陰謀をめぐらす城の人々。それぞれの感情が、ヴェルディならではの美しく力強い旋律で描かれています。
以下イタリア語の曲名でネット検索すると、有名なオペラ歌手が歌うそれの音源や映像を視聴できますので、オペラ鑑賞の前にこれだけ聴いておくだけでも感情移入しやすくなるかもしれません。
[序曲] 「Sinfonia(序曲)」:一般的な序曲は複数のメロディーを並べて作られますが、本作の序曲はたった一つの主題(メロディー)を、さまざまな形に変化させながら展開していきます。クラリネットが奏でる憂いを帯びたメロディーが次第に激しさを増していく様子は、これから起こる悲劇を予感させます。
[1a] 「Lo vidi, e ‘l primo palpito(彼を見た時、初めて胸がときめいた)」:誕生日の朝、ルイーザがカルロと初めて出会った日の胸の高鳴りを歌う、明るく可憐なアリアです。この幸福な歌声が、物語の最後にどうなってしまうのかを思うと、胸が締め付けられます。
[1b] 「Sacra la scelta è d’un consorte(伴侶を選ぶことは神聖なもの)」:結婚を迫るヴルムに対して、ルイーザのパパ、ミラーが「結婚相手は娘自身が選ぶべきだ」ときっぱり言い放つアリアです。カッコいいです。家同士の都合で結婚が決められるのが当たり前だった時代に、娘の意思を尊重するパパの姿は、とても新鮮に映ります。ヴェルディが生涯描き続けた「父親像」の原点とも言える名曲です。
[1c] 「Il mio sangue, la vita darei(わが血も命も捧げよう)」:息子のためならば血も命も捧げると歌うロドルフォのパパ、ヴァルター伯爵のアリアです。息子を愛していることは本当でも、その愛し方はミラーとは正反対。「親の思う幸せ」と「子どもの望む幸せ」のすれ違いが浮かび上がります。
[1d] 「Dall’aule raggianti di vano splendor(虚しい栄華に輝く宮廷から)」:フェデリーカとロドルフォの二重唱です。きらびやかな宮廷を離れて初恋の人のもとへ戻ってきたフェデリーカの喜びと、他の女性を愛していると打ち明けなければならないロドルフォの気まずさが交錯します。フェデリーカの深く落ち着いた声(メゾソプラノ/コントラルト)にも注目してください。
[2a] 「Ah! Luisa, Luisa, ove sei?(ルイザ、ルイザ、どこにいるの?)」:心配しているルイザのもとへ、ルイザの友人たちが、ミラー氏が兵士たちに引き立てられていったことを話します。
[2a] 「Tu puniscimi, o Signore(神よ、私を罰してください)」:父を救うため、ヴルムから心にもない手紙を書くよう迫られたルイーザが、神に祈りながら苦悩を歌う劇的なアリアです。
[2a] 「A brani, a brani, o perfido(ああ、裏切り者よ)」:続いて、ヴルムへの怒りと絶望が一気にあふれ出す激しい後半部分(カバレッタ)が続きます。
[2b] 「L’alto retaggio non ho bramato(高い地位など望んではいなかった)」:伯爵とヴルムの二重唱です。低い声(バス)の男性2人が、暗殺の秘密が暴かれることに怯え、地の底から響くような声で「共に処刑台へ」と誓い合う、オペラでは珍しい「悪だくみの二重唱」です。
[2d] 「Quando le sere al placido(穏やかな夜には)」:本作で最も有名なテノールのアリアです。ルイーザの手紙を読み、裏切られたと信じたロドルフォが、星空の下で彼女と愛を語り合った夜を思い出しながら歌います。気品ある美しい旋律と深い悲しみが交錯する、テノール屈指の名曲です。
[3a] 「La tomba è un letto sparso di fiori(お墓は花の散り敷かれた寝床)」〜「Andrem, raminghi e poveri(貧しくとも、さすらいの旅に出よう)」:死を決意した娘と、それを必死に止める父の二重唱です。父の涙ながらの説得に娘が心を開き、二人で村を出て生きていこうと誓う場面は、本作で最も心温まる瞬間かもしれません。のちの『リゴレット』や『椿姫』に登場する父娘の二重唱の原型とも言われています。
[3c] 「Padre, ricevi l’estremo addio(お父さま、最後の別れを)」:毒に倒れたルイーザ、絶望するロドルフォ、そして娘を抱きかかえるミラーによる三重唱です。悲劇の極みにありながら、ルイーザの歌はどこか天に昇っていくような清らかさをたたえています。誤解が解け、ようやく本当の心が通い合ったのが死の直前だったという残酷さと美しさが同居する、劇的なフィナーレを迎えます。
今回の作品の制作チームに、カンマラーノという台本作家がいました。ナポリの演劇一家に生まれ、はじめは画家を志していたというカンマラーノは、ドニゼッティの代表作『ランメルモールのルチア』の台本を書いたことで知られる、当時のイタリアを代表するベテラン台本作家でした。
実は本作の誕生には、ちょっとした「事件」がありました。1848年、パリにいたヴェルディは、政情不安を理由にナポリのサン・カルロ劇場との契約を破棄しようとします。ところが、ロッシーニはすでに引退し、ドニゼッティもこの年に亡くなっていたため、劇場としては今をときめくヴェルディの新作を何としても手に入れたいところです。そこで劇場の幹部は、なんとカンマラーノに「ヴェルディが契約を破棄するなら、台本を書いたお前を契約違反で訴えて牢獄にぶち込むぞ」と脅しをかけたのです。当時、台本作家の地位や収入は作曲家よりずっと低いものでした。
妻と6人の子どもを抱えるカンマラーノに泣きつかれたヴェルディは、劇場のやり方に腹を立てながらも、一回りほど年上のカンマラーノの腕を信頼していたこともあり、ナポリで新作を発表することを決めます。こうして生まれたのが『ルイーザ・ミラー』でした。
その後もヴェルディはカンマラーノと組み、名作『イル・トロヴァトーレ』の台本を依頼しますが、カンマラーノは完成を目前にして亡くなってしまいます。ヴェルディは残された家族に、約束以上の報酬を支払ったと言われています。脅されて書いた台本から始まった二人の関係が、最後は深い友情で結ばれていたことが感じられるエピソードです。
最後になりますが、伯爵が息子に押し付けた結婚相手、フェデリーカについても見ておきましょう。
彼女はロドルフォを横取りする「恋敵」のようにも見えますが、実はとても興味深い人物です。
フェデリーカの肩書は「オストハイム公妃(公爵夫人)」です。貴族の爵位は、上から「公・侯・伯・子・男」の順に並びますので、「公爵」はその最上位にあたります。一方のヴァルターは「伯爵」です。しかも彼女は、亡くなった公爵から莫大な財産と領地、政治的な影響力を受け継いだ未亡人でした。伯爵にとって、息子と公妃の結婚は、一族の格を一気に引き上げ、宮廷への道を開く千載一遇のチャンスだったのです。オペラの中でも伯爵は「彼女と結婚すれば宮廷への道も開かれる」と息子を説得しています。そしてもう一つ、伯爵には人には言えない動機がありました。従兄である先代領主を暗殺して今の地位を手に入れた伯爵にとって、自分の罪と権力を守るための後ろ盾を得ることでもあったのです。
一方で、フェデリーカ本人はどんな女性だったのでしょうか?
彼女はロドルフォの幼なじみで、子どもの頃から彼に純粋な想いを寄せていました。
年老いた公爵との最初の結婚も、おそらく彼女自身の望みというより、家同士の都合で決められたものだったのでしょう。未亡人となり、ようやく初恋の人と結ばれると胸を躍らせて宮廷から戻ってきた――そんな彼女に、ロドルフォは「他に愛する人がいる」と正直に告げてしまいます。
最高位の貴族としての誇りと、長年の恋心を同時に傷つけられた彼女は、激しく怒り、結婚を諦めないと言い放ちます。とはいえ、彼女自身が伯爵やヴルムの陰謀を企てるわけではありません。彼女が求めたのは「ロドルフォの心が自分に向いている」という証しだけで、結果的にその想いが、伯爵たちの陰謀に利用されてしまったのです。
一見すると、「純朴な愛」の象徴であるルイーザと、「富と権力と名誉」の象徴であるフェデリーカという構図のように見えますが、フェデリーカもまた、男たちの思惑によって結婚相手を決められてきた女性であり、ルイーザと同じく身分制度に人生を左右された一人なのかもしれません。皆さんそれぞれ気になるところがあれば、ぜひ掘り下げて頂ければと思います。
そして『ルイーザ・ミラー』が面白そうだなと思ったら、音楽や映像を調べてみたり、劇場に足を運んでみてください。
※ 本記事は、初めてオペラに触れる人たちが、オペラのストーリーを「他人事」ではなく「自分事」として捉えられるよう、考えかたのヒントを提示するものになります。このため何が正解かを追求することよりも、様々な解釈ができることを楽しみ、他の解釈も尊重して頂きたいと考えています。多様な解釈の存在は多様な演出にも繋がります。その上で、ストーリーや解釈の上に乗って押し寄せてくる素晴らしい音楽を楽しんでください。それが皆さんにとって良い経験となるようでしたら、是非周りの皆さんとも共有して頂けるとありがたいです。
【参考文献】
スタンダード・オペラ鑑賞ブック『イタリア・オペラ(下)』 音楽之友社
月刊ショパン別冊『詳解オペラ名作217』 ハンナ
『ヴェルディ』小畑恒夫 音楽之友社
『評伝 ヴェルディ』ジュゼッペ・タロッツィ 小畑恒夫訳 草思社
「ヴェルディのオペラ――全作品の魅力を探る」永竹由幸 音楽之友社
『ヴェルディ 全オペラ解説』 髙崎保男 音楽之友社
『たくらみと恋』 フリードリヒ・フォン・シラー 岩波文庫
ウィキペディア「ルイザ・ミラー」https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイザ・ミラー
Wikipedia “Luisa Miller” https://en.wikipedia.org/wiki/Luisa_Miller
OperaWire “Opera Profile: Verdi’s Luisa Miller” https://operawire.com/opera-profile-verdis-luisa-miller/
habsburger.net “Archduke Leopold V” https://habsburger.net/en/chapter/archduke-leopold-v-prince-church-founder-collateral-tyrolean-branch-habsburg-dynasty
